手紙が欲しかったらまず自分から出せよ>がまがえる
娘の授業参観にいってきました。授業内容は、今年1年で印象に残ったこと書いた作文をみんなの前で発表する、というものでして、夏休みのことや運動会、遠足を取り上げたものもあったなか、教科書の本読みや、九九を覚える、ということなんかを題材にしている子もいたんですよ。
で、その中で音読の宿題について話した子もいて。その子は最近音読のテーマになっている「スーホの白い馬」という領主の非道を描いたモンゴルの民話のことを語っていましたが、そのときふと思い出したんですよね。
甘ったれたがまがえるの話を。
調べてみるとアーノルド・ローベル「ふたりはともだち」という作品に5つ話が入っててその中の「おてがみ」という作品が小学校の教科書に収録されていたと思います。
これですよ。
ここで登場するがまがえるくんが、ひどく落ち込んでてなんで落ち込んでいるのと訊ねた友人のかえるくんに「僕は今まで手紙を貰ったことがなくて凹んでるだわー(チラッ」ってしてて。いや、チラッという表現はなかったと思うけれど、これ明らかに催促してるでしょ。
かえるくんも人がいいのか、こっそり手紙を出してあげる、というのが筋なんだけれども、おかしいだろこれ。
そもそも手紙をくれるような友人がこのがまがえるにいるのか?という情報が読み手にないんだよ。友人はいるけれど実は煙たがられていて、誰も手紙を出したがらないのか、もしくはそもそもかえるくんしか友達がいないのか?
手紙貰ったことないんだよね〜とかそんなこといわれても知らんがな、としかいえないことを平気でいうようながまがえるくんのことだから、煙たがられている可能性が高い気がする。自業自得ではないか。
それに1番言いたいのは、
手紙が欲しかったら自分から出せよ。
ということであり、なんにもせずとも貰えるとかありえんすぎるだろ。物凄くハンサムとか人気ものであるとか、よほど魅力がある人というかカエルじゃないかぎり無理過ぎる。
それに知らない人から手紙来るとか、大抵ダイレクトメールか広告だしな。
知り合いから貰いたいだろうし、手紙なんて。
だから、欲しかったらまず自分から出し、かえるくんはこっそり手紙なんか出してないで、そのことをがまがえるにしっかり指摘してやれよと。それでこそ友達だろ。
なんかそのへんうやむやにして、仲良しごっこで終始しているところが、いくら絵本だからって欺瞞ではないか。
ということを子供の頃からずーっとずーーーーっと思っていたことを今思い出したのであった。
なんか、もやもやがスッキリした気がする。