ジジョロン

「そろそろ本気だす」といい始めてからが本番だ

人助けを生半可な気持ちでやってはダメな理由

この方の場合は貧困な方に絞っての話なので違うのかもしれないけれど、思ったことがあったので書くね。

人を助けるっていうのは基本やってはダメだと思う。

ただ、生半可な気持ちでやると大やけどを追い、自分までダメになってしまう場合が非常に多い。

仕事として割り切ってやるとかならいい。線引して助けられる部分はここまで、このあとは自分でやってね、あるいは他の人にバトンタッチするとか、アドラーでいうところの「課題の分離」を意識してやるべき。

助けられる側の人が頑張れるような環境までは周りがサポートすることが出来るけれど、できるのはそこまで。馬を水場に連れて行くことは出来ても飲ませることはできません。

人助けしようとする人は大抵、馬に水を飲ませようと余計な振舞いをして、馬が暴れだし、巻き添えを喰ってしまうわけですよ。下手すれば共倒れです。誰も幸福にならない。傷つけられて辛い思いをすることになる。最悪、ミイラ取りがミイラになるとも限らない。

そんな覚悟があるか、ってこと。出来ること出来ないことをしっかり理解して、っていうけれど人の感情は嵐のようなものでいつ吹き荒れるかわからないのよな。情緒不安定だろうし、人の話を聞かないかもしれないし。それでもどうしても救いたいのならやればいい。劇作家の鴻上尚史は宗教に嵌った友人を助けるために人生かけたって何かの本に書いてた。そこまでやって成功するかどうかだと思う。辛い道のりだ。

「課題の分離」が出来ずあの人を救えるのは私だけ!と勢いだけで手助けにいって、精神を病んでボロボロになった知り合いがいるだけに、ここまでしか救えなかった、悔しい、とかそんな悠長なこといえるケースばかりじゃないんだよ、ってことを強くいいたいです。

目の前の人を救うのは正直難しいです。だからそもそもそんな人が出ないよう、あるいは出ても自力で乗り越えられるような知識、知恵を例えば小学生の頃に教えるとか、そういう面での工夫を考えるべきだと思っています。

直ぐには効果がでませんが、それでもやるべきでしょうね。

まとめ

  • 困っている人がいても安易に手を出すな
  • 手を出すなら「課題の分離」を意識すること
  • どうしてもどうしても救いたいのなら自分の人生棒に振る勢いで挑むしかないけど、そこまで入れ込む相手なのか自問自答をしっかりする

冷たいですが、共倒れするよりマシだと思っています。

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