ジジョロン

「そろそろ本気だす」といい始めてからが本番だ

星野源のキリンジ「千年紀末に降る雪は」の歌詞の解釈になるほど!と思った

キリンジは私もフェイバリットなアーティストの一組でライブも数回参加しています。

ラジオで紹介されている「千年紀末に降る雪は」は個人的なキリンジベストの中でも10位以内に入るほど好きな楽曲で流石兄貴!という難解でお洒落で凝ってて寂しくて物悲しくてほっとする不思議な曲です。

今回取り上げたのは星野源の「千年紀末に降る雪は」の解釈に「なるほど!」と思ったからんですね。

曲と歌詞

星野源の解釈

じっくり歌詞を読みながら楽曲を聴いて欲しいです。聞かれましたでしょうか?

歌詞の語りが一体誰か?という話なんですけどれも、語り手なんて気にしたことなかったなあ。

私はサンタが時代遅れになった時代の話なのかなと思っていました。

昔はサンタといえばプレゼントをくれるはらのでっぷりしたおじいさんがいたけれども、時代がかわりそんな人もいたっけ?ぐらいな扱いになってて。

確かに赤い服着て、トナカイでソリ引いてプレゼントを各家庭に配達するのはよいけれども、よくよく考えれば他人ですし?いきなりこんなおじいさんが自宅にきたら子供は吃驚するよ。戸惑うよ。

大人だって、なんで金にもならないのに、プレゼント配ってんだ?バカじゃないの?って思うかもしれない。

だけどサンタは昔の記憶どおり、毎年プレゼントを配る使命がある。だからプレゼントを今年も配りにきた。

でも都会でソリを引くとか無理。だけど俺はサンタ。プレゼントを配らないと、と頑張ってる。

「赤いオニがきたよー」とおどけてみたりもするんだけど虚しい。

だけど文句もいわずモクモクとプレゼント配る。

そんな彼をいたわろうとしてる人物が、サンタに対して「おお、古くからの友人よ、まあ柊の実でもどうかね?」といたわるわけなんですよね。

で、この労っている人物がこの歌詞の語り手でもあるんだけれど、これ一体誰なんだ?って話。

星野源の解釈では、この友人はトナカイなんじゃないかと。まっかな柊の実というのは実は真っ赤お鼻のトナカイさんのことで、サンタにトナカイがそっと寄り添っている、サンタをトナカイが見守ってるという図なんではないかと。

面白い!

なるほどなー。そういう解釈も出来るよね。

2番以降の歌詞も凄まじく孤独なサンタの様子が浮き彫りにされてて、胸が痛むのですが、それでもなおサンタを見守るトナカイ。そう考えると少しは救いがあるのかな、という気持ちになりました。

掘込高樹の歌詞は色んな解釈が可能で改めて素晴らしいよなあと思いました。

おわり。

スポンサードリンク