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「そろそろ本気だす」といい始めてからが本番だ

幸田露伴「幸福三説」をブログで例えてみる

幸田露伴を紹介するときに《「五重塔」「風流仏」などの名作が有名》とか書いちゃう人多けど、今の世代で知ってる人いねーだろ。それ、有名っていえるのか? 娘の幸田文だって知らない人多いだろ...とか思うトキンです。

さて、幸田露伴といえば「努力論」と並んでよく引き合いに出されるのが「幸福三説」です。

実態のないモヤモヤとした「幸福」はどのようにすれば得ることが出来るであろうか、と考察したもので「努力論」に収録されています。

概要は Wikipedia にもまとめらているのですぐ詳細が知りたければこちらを。

幸福三説 - Wikipedia

本記事ではブログで例えてみます。以下をどうぞ。

目次

そもそも福って?

福ってどんなものか。ふわっとして掴み難い「福」。これを露伴はこう定義している。

社会という海上で無形の風によって容易に地位、権勢、富を得た場合のこと

確かに。まあいうなればラッキー(幸運)ってこと。(意識した)努力などに依らずに得た、文字通りたまたまゲットした幸運のことを指すと思う。

ブログで例えると、たまたまネットサーフィンで知ることが出来た素敵ブロクとの出会い、だといえるだろう。

偶然検索したキーワードに引っかかった検索結果頁の最下段に出てきたリンクを何かの拍子でクリックしてしまい、やれやれと戻るボタンを押そうした時に目に入ったイラスト。そして文章を見て心を射抜かれてしまう。嗚呼、こんな自分が読みたかったブログなんて嘗てあっただろうか。 丁寧に一つ一つ記事を読んでいく。楽しい!ワクワクする!為になる!

こんな経験された方もいるかもしれませんね。

福というのはこういう形で訪れるものなんです。

その1. 惜福

惜福とは、受け取ることができる福をすべて取り尽くさず、使い果たそうとしないことを指す。

取り尽くせば、福の種一粒もなくなってしまい、急には再び福が生じることはない。

ブログで例えると。

自分にピッタリあったブログの記事を一度に全部読んでしまわないこと。丁寧に少しずつ楽しむべきだろうという話です。

一気に読んでしまうと、読み飛ばしや意味の理解が出来なかったりして十分に記事を楽しむことは出来ないだろうし、全て読み尽くしてしまったら、新作が投稿されるまで禁断症状が置きてしまうw。

ブログの場合だと読んでも記事は消えないから、再び読み返すなんてことが出来てしまうけれど、仮に1度読んだら再び同じ記事に辿り着けないようなブログとか昔のツイッターのように過去ツイートの検索が難しいケースを想定してみましよう(この時点でブログで例えることを後悔しています)

丁寧に少しずつ消化する、というのは倹約とか吝嗇とかそういった話でありません。

ただそういった姿勢の人の人柄というのは伝わるもので、露伴も

福を惜しむ人は他人に好かれ信頼されており、福を惜しまぬ人は他人に憎まれ危惧されている

なんて書いてます。わからなくもないけど少し言い過ぎじゃないかしら。

その2. 分福

分福とは、自分で福を楽しまずその一部をただちに他人に分け与えること。自分から福を分け与えれば、人もまた自分に福を返してくれるものである、とのこと。

ブログで例えると、自分の好きなブログを読む時間を、紹介に当てる行為を指すのではないか。

人づてに「このブログめっちゃおもろいねんで!」とかSNSで文章書いては拡散お願いしたり、道行く人、知り合いにどんどん紹介していく。

紹介している時間は当然自分が読めないわけだから、差し当たって不利益を被っているわけだ。

だけれども面白いブログを教えて貰った人は、それならば、というわけ自分のとっておきのブログの存在を教えてくれることに繋がっていくんですね。

福を分けると、福が帰ってくるというわけです。この場合はブログを教えたら、他の面白ブログを教えてもらった、ということになるでしょう。

1人で面白ブログを探すのは大変だけど、多くの人の目を使って探せば、色んな種類かつ数多くのブログを知ることになります。

惜福は自己一身に関わることでなのでいささか消極的な趣があるけれど、分福は他人を巻き込むので、積極的な意味がある。規模も分福のほうが遥かに大きくなる可能性があるので、人の上にたつ人にはマスターして欲しいスキルであるし、逆に惜福は人の下にたつ、つまり個々人それぞれにインストールして欲しい考え方だと思う。

その3. 植福

最強と目される植福。自分の力・情・智をもって人の世に幸福をもたらす物質、清趣、知識を提供することをいう。難しいな。

ブログで例えると、面白いブログを紹介するブログ、作っちゃうということになるでしょう。

面白いブログを紹介するブログを更新するには、面白いブログを探す必要があり、それ自身、自分にとって福がやってくるのと同じです。

それに加え紹介ブログをつくることで、社会に貢献しているわけです。紹介ブログを通じて他の人も感化され、同じように面白ブログ探索の旅に出たり、宣伝を初めたりするかもしれない。

つまり、自己の福と社会の福、2つの福を増やし育てることなる。これは幸田露伴のいう、

幸福利益の源泉となること

に繋がるわけです。趣味でやってるブログが巡り巡って植福になってしまうのわけです。

まとめ

福というのは弓から放たれた矢と同じで、最初は勢いがあるもののいずれ落ちる。

だからこそ、最初の惜福で、福の目減りを極力抑えつつ、分福で福の勢いを少しずつ増やし、植福でその勢いを個人だけのものではなく、社会を巻き込んで福を増やそう、それが尊いんだよ、という話なわけです。

どうだろう、三福の話、少しは分かりやすくなったかな?

だから為になる面白ブログを書くことは、植福であり素晴らしいと思います。自分もみんなも幸せにしますからね。 私もそこを目指しています!

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