ジジョロン

「そろそろ本気だす」といい始めてからが本番だ

常に変わり続ける

Rolling Stones and Shakespeare badges plus push pins - Corkboard DoF

将棋の棋士に先崎学という人がいる。 故米長永世棋聖門下で、今季若手を押しのけてB2からB1へ昇級した1970年生まれ。 若いころ将棋指しの才能は高いと評価されていて奨励会時代は「天才」と呼ばれていたものの、 羽生登場により「元天才」となってしまった。まあ羽生と比べられてたら仕方ないんですが。

彼も中堅どころからベテランの域に入り、若手と対戦することが多くなったときのこと。 将棋は戦型や指し手を選ぶセンスというか感覚が世代とともに移り変わっていくんですね。 なので、先崎は若手と指したときに感じた若手の指し手に対する違和感を表明して、 時代が変わったんだなあ、と嘆息するんです。

ベテランは大抵そう。自分の感覚と違う、培ったものとはことなるなあ、で話は終わる。 身につけた感覚を後生大事にして、そのまま死ぬまで変わらない。

一方羽生。羽生は忙しいので毎日生産される棋譜全てに目を通すことはまれらしいので、 研究熱心な若手棋士を招いて若手の指し手をチェックしている。

自分と感覚が違うことも理解し、それを取り入れるのですね。 取り入れて取捨選択し、自分のものにしてしまう。

トップ棋士なのに奨励会員の棋譜に目を通してるとか。

大局観と呼ばれる将棋に対する感覚を改造するのは即自己否定に繋がる。 ましてや勝ち続けているのだから必要があるのか、と外から見たら思ってしまう。

だけど羽生は変わり続けることで、感覚が固まってしまうことを防いでいるのです。 だからこそ、若手相手にも彼1人だけが対抗し続けることが可能なんだなと。

SEなんかも同じ言語に固執し続けると、潮目が変わったらどうしょうもなくなるわけで 常に変わり続ける努力は必要なんだけれど、生活していると億劫になってサボってしまうよなあ。

羽生はその点、凄みを感じざるを得ないです。 何故って、変わり続けることを笑顔でこなしてしますからね。

史上最強といわれるのも宜なるかなという。

参考にはなるんだけれど実行するのしんどいんで、 上手く習慣化出来るようにするしかないね。

やるしかねえ!

スポンサードリンク